2017/08
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〔2度目の災害ボランティアに参加して〕
今度は岩手県に行ってきました。保有資格って管理栄養士なんですけどね、日本栄養士会が募集していた災害派遣管理栄養士に登録をしていました。
石巻へのボランティア行きが決まって色々購入している頃(5月の下旬ですね)、栄養士会から連絡が入って、その時はお断りしたんです。そしたらまた連絡があり(6月中旬)、7月に行くことにしました。

今回は寝泊りを岩手県遠野市とし、そこから車で被災地に通うという形でした。遠野市はボランティアの後方拠点地としていろんなボランティアさんが寝泊りしていたと思います。

私は拠点地から栄養士会の準備したレンタカーで釜石市(と、最終日は大槌町も)まで3日間通いました。約40キロ、ナビもあるしほぼ一本道でしたので迷うことはありませんでした。保健所でミーティングをした後、指定された避難所へ行き、炊き出しの支援を行いました。ボランティア栄養士1名~2名でお邪魔し、避難所の方の希望か、または急いで使う必要のある食材を聞いてメニューを決めて作って食べていただくといった流れです。この時点では仮設住宅に少しずつ移動されており、1箇所30名分、多くて60名分を作る感じです。もうメニューを決めてある避難所や、仕出しお弁当が来る箇所もありましたので、がっつり作らなくてもよかったです。

今回、お話だけ伺った所も含めると5箇所の避難所にお邪魔しました。総じて言えることは、皆さん疲れてらっしゃる、ということです。私が行った時はちょうど震災から4ヶ月、東北ではあまりない猛暑だったこともあると思います。加えて仮設住宅にいつ入れるか、仮設は決まったけどその後どうするんだといった心配もあり、正直言って食事のことはあまり考えられないというのが本音だったと感じました。避難所によっては一切自分達では作らない、支援物資と仕出し弁当だけという所もありました。

栄養士じゃなくても明らかに野菜不足だと感じるメニューでしたが、具沢山の汁を作ってとか、洗ってちぎればできるサラダを添えてとか、それすら言えませんでした。せめて自分達が行った時だけでもということで、そのようなものを作りましたが。

私は地元のベテラン栄養士さんにひっついて、ひたすら野菜を洗ったり切ったりするだけでした。とにかく地元の方と雑談をするというのもためらわれました。壊滅的被害だった大槌町のある避難所にいたっては、なるべく口をきかないほうがいいとまで言われました。言葉一つで拒否反応を起こされたことが私の前に来た栄養士にあったようです。

*****

雪が積もる3月に被災され4ヶ月、うだるような暑さになっても体育館で過ごすことがどんなに疲労困憊するか。そして家がなくなり仕事がなくなり家族も亡くされた方がほとんどでしょう。被災していない私達からかける言葉はありませんでした。
お盆までに皆さんが仮設に入れるはずです(釜石は7月中が目標でした)。 なにかしらの光が見つかればと願うばかりです。

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遠野の栄養士拠点でお世話をしてくださったベテラン栄養士さん、避難所にお供させていただいたベテラン栄養士さんは東北弁がいい味出てる楽しい先輩方でした! 同じ時期に拠点で寝泊りした4名の全国の栄養士さんとはいろんな話ができて大変参考になりました! 皆さんありがとうございました<(_ _)>

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〔災害ボランティアにまた行ってきました〕
今度は活動が3日間でしたしお風呂もありましたので、体力的にはあまり消耗してませんよ。

ただ、実際に避難所生活を目にして、暑さと長期化とでうんざりしている被災者さんに「鳥取から来ました!」とは言えませんでした。彼らにしてみれば「それがどうした。」です、本当に。

また、保有資格の派遣という立場で行きましたので、思うところはいくつかあります。また、整理してお伝えしようと思います。

〔災害ボランティア体験記⑨~感想と感謝~〕
ボランティアから帰ってきてしばらくは、抜け殻気味になっていたかなと思う。状況が許せばまた行きたいという感じ。なんででしょう、たいしたことはできなかったのに。もしかしたら、次はもうちょっと役に立てるかもと思うからかも。

なにかしらの思いを持って集まるボランティアと一緒にいる心地よさもあったと思う。
日本に住んでいれば、今回の震災に無関心な人なんて1人もいない。なにかできることをしたいという思いはみんな持っている。小さい子供さんがいる家庭など、行きたくてもいけない人は沢山いる。でも、なんとか行ける状況であっても、実際現地に行くという行動をする人となると、ぐっと少なくなる。 なんの違いかと考えるに、『一歩の勇気』だけだと思う(何人かに尊敬するとか言われたけど、そんな高尚な思いはない。これはほとんどのボランティアがそうだと思う。なので、そういうことを言われても困ってしまう)。

自分ひとりが参加しようがしまいがたいした意味はないと迷ったのも事実。でも私はそれを承知で一歩を踏み出してみた。実際たいしたことはできなかったけど、それでいいと思えた。

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今回ボランティアに行くにあたって、まず寝袋を提供してくださった母の友人(私の幼馴染のお母さん^^)Hさんに感謝します。お陰様で温かく寝れました。ありがとうございました。
また、現在取り掛かっている活動『出雲神話☆語る会』のみなさん、会の準備等欠席してしまって迷惑かけました。応援してくれてありがとうございました。
姉の職場のみなさんには、帰ってきた日にお疲れ様のケーキとメッセージカードをいただきました。ビックリして恐縮しましたが嬉しかったです。ありがとうございました。
お隣の奥さんにも留守にする間回覧板をお願いしますと言ったところ、あたたかい言葉をいただきました。ありがとうございました。
友人や元同僚達からも恐縮するような恥ずかしいようなお褒め(?)の言葉をいただいたり、帰ってから慰労会を開いてくれました。ありがとうございました。

最後に、ネコを長期間預かってくれ、留守中の家も見に行ってくれ、準備品もいろいろくれたり、旅費をほとんど出してくれた家族に感謝します。ありがとうございました。


これで、今回のボランティアの報告を終わります!


そして、また今月、別の団体として被災地へボランティアで行くことになりました。無職で交通費使ってなにをやっているんだと自分でもあきれますが、遊びの旅行をひとつがまんしたと思えばいいかなーと。
今度の場所は、母とこの春に行こうかと言っていた所です。観光できないのが残念ですが、できることをしてきたいと思います!


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もし、5日程度の休みが取れ、金銭的にも多少余裕があり、普通の体力があるなら、60歳くらいまででしたら男性でも女性でも短期ボランティア参加可能です^^(今までのPBでのボランティア最高齢は74歳!)
興味があれば是非私までお問い合わせを・・・。まだまだボランティアは必要です。
〔災害ボランティア体験記⑧~ボランティア仲間~〕
私は今回あるNGO団体のボランティアに参加した(HPはこちら)。他の活動と比較はできないが、非常に感心したし感謝した。説明会の開催や現地までのバスの手配等はもちろんだが、特に現地での調整力。社会福祉協議会が災害ボランティアセンターというのを作っているのでそれにしたがっているのだろうが、今までのボランティアがきちんと活動してきたからこそ地元からも信用されたのだろうから。その指揮と調整をしている残留ボランティアの皆さんには頭が下がる。私たちを指揮してくれたKさん(34)は第5陣で来てそのまま活動し続けるボランティアだった。ピースボートの職員ではない。Kさんは「最後までいる」と言っていた。

また第10陣バス2号車34名は、同じ宿で寝起きとご飯を共にした仲間だったが、非常に気持ちいい人ばかりだった。特に女性8名とは寝る前などたくさんおしゃべりをして笑って過ごせた。60歳前後の女大先輩が3名もいて、アラフォーとしては大変心強かった。20代とアラサーの女子3人も台風の時UNOに混ぜてくれたり楽しく話ができた。大阪のDちゃんとはいつも一緒に行動し、関西の厳しい突っ込みもされながら仲良く過ごした。同じ班のおじ様たちからは食事時にお湯を沸かしてもらったりおかずをもらったりしてDちゃんと2人優遇されたし、活動時ももちろん力仕事を助けてもらった。33歳のKくんは途中からトラック部隊に貸し出しとなった(力仕事なので)が、それまで土嚢袋の縛り方を教えてくれたりしたし、食事時はコーヒーを入れてくれた(入れさせたとも言う)。

他の班の男性陣もいい人ばかりだった。全員と話したわけではないが、台風で活動できない時に自己紹介を全員でしたし、最終日の夜も感想を全員言ったので、なんとなくだが連帯感というか仲間意識というかそういうのが(私は)生まれた。最終日の感想を言った中で、特に60代のほかの班のおじさまが「今回参加して思ったのは、若者の力はすばらしいということです。」と言ったことに非常に感動してしまった。20代(10代もいたのかな?)の大学生から30代40代の男性陣はやはり元気で行動力やあり、60代のおじ様方は地道にもくもくと力仕事をこなすという、いい連携だなぁと勝手に思ってしまった。

34名のうち、4人が引き続きボランティアをするため残留した。他にも2回目・3回目の参加という人もいた。勇気を出して初参加もえらいが、継続して参加する人は本当にすごいなと思った。
〔災害ボランティア体験記⑦~地元の方々との交流~〕
ボランティア作業を終えた日、商店街の皆さんが一店舗に集まって小物産展を開いてくださった。復興に大変な時なのに、無事だった商品やお惣菜・災害の写真などを持ち寄って私達のために時間を割いてくださっていた。ボランティアの多くは、地元で買い物することで義援金がわりとしたい考えの人が多くいたが、まだお店オープンに至っていないところが多かったので、みんな喜んで買い物をした。
ちなみに私はギャルが持つような携帯ミラー(鏡を持って行ってなく、どうしてもの時は部屋の女子に借りていた。しかし最終日に買うのもどうかと自分でも思った。)、クマのタオル3枚セット、地元美術館のお菓子、惣菜(朝食用)、それからこの物産展ではなかったが復興Tシャツと復興シールも買った。ちなみに携帯ミラーを買ったら布バックとマスコットとキーカバーがオマケでもらえたv(^o^")v  本当はもっと買いたかったが、なぜか帰りの荷物も(重さは軽くなったが)いっぱいだったのでセーブした。

次の日の朝、帰りのバスが来たのでバス停に向かった所、商店街の皆さんがお見送りに出てくださっていた。恒例のことと知っていたが嬉しかった。前の日にみんなで書いた寄せ書きを渡し、お互いいっぱい手を振ってお別れをした。石巻は魚の美味しい所、復興したあかつきには泊まらせていただいた料亭に食べに来たいねとボランティア仲間で話した。


***

また私は抜け駆けして美容院に行った日、髪を乾かしてもらいながらかわいらしい美容師さんとお話をした。私が山陰からボランティアに来たと話した所、自分の苗字と同じ町が山陰にあるのでいつか行ってみたいと思っていると話してくれた。
この美容院は4月の早いうちからオープンしているそうだ。同じ町でも川や海に近い所とそうでない所で、随分被害状況がちがうなぁと感じた(この美容院は川から少し離れている。といっても歩いて数分の違いだけだが)。

それと、バスで連れて行ってくれた運転手さんからはうれしい言葉をいただいた。
「全国からこんなにひっきりなしにボランティアに来てくれてることが本当にありがたいよー。自分が同じ立場だったらボランティアに行くかっていえば、わからないもんねー。阪神淡路(大震災)の時だって正直、人ごとだったもんね。そう思うと本当に頭が下がるよ。食べ物も全部持ってきて、風呂にも入らないでさー。」そうか、実際の活動はたいしたことをできていなくても(できた方が無論いいに決まっているが)、なるべく現地に迷惑がかからないように応援に来たよという行動だけでもいいのかと、ちょっとだけ誇らしく感じた。
プロフィール

マッキー55

Author:マッキー55
山陰(鳥取・島根)をうろちょろする山陰女です!
ちょっとずつ山陰を紹介できたらなーと思います♪
それとネコを飼い始めたのでネコネタが多くなってます。

このブサイクなくまのぬいぐるみは私の手作りなんざんす。
今ではネコの獲物と化し、首元を中心に全身ずたずたです・・・。

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